院長 千葉正敏
経歴 | 弘前大学医学部卒業 |
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略歴 | 大学卒業後、京都宇治徳州会病院にて内科、外科、小児科、産婦人科、整形外科研修、 岐阜市村上記念病院整形外科研修、 名古屋徳州会病院内科研修、 青梅市高木病院整形外科勤務後、 青梅市新町に開業 |
所属学会 | 日本整形外科 日本救急医学会 日本プライマリーケア学会 日本家庭医療学会 日本美容皮膚学会 日本抗加齢美容医療学会 日本AKA学会 遠絡療法学会 |
ご挨拶
私は骨折脱臼、小児喘息、頭の傷、花粉症など、とにかく外来で診れる外傷、病気は何でも治療することをモットーとして開業しました。
細分化された現代医療の中では、はやらない考えだろうと思いますが、そうなったいきさつについてここに記し、ごあいさつとさせていただきます。
私は岩手の山村の出身です。
一人前の医師となりふるさとの僻地医療のために貢献するのが夢でした。 そのため当時としては勇気のいることでしたが大学医局に残らず救急病院にて多くの診療科を研修させていただきました。
ところが国の医療費抑制策で公立病院の統廃合がすすめられ、専門医師志向が進むにつれ、私のように全人的な立場から人を診ようとする医者は必要とされない時代となってきました。
40年前、私の田舎の岩泉から盛岡に出るとき、冬の峠の道が雪で閉ざされると遠回りして6時間かかりました。妊婦さんを診ることもあるだろうからと産婦人科研修中は100人あまりの赤ちゃんを取り上げさせていただきました。
現在は峠の下にトンネルができ、冬でも1時間あまりで盛岡の大病院に行けるようになりました。田舎から便利な都会にどんどん人は流れ、40年前150人いた私の部落の人口は現在18人となり、おばあちゃんの一人暮らしが増え、空き家が目立つようになりました。
医師となり故郷に錦を飾ることを夢見ていた私は途方に暮れました。
そんな時、御岳山の奥に隠棲されておられた仙人の笹目秀和老師のもとに修行に行くべく立ち寄った青梅の地を好きになり医師として働くことになりました。
私の医院には瑞穂、羽村、あきる野、福生、埼玉の飯能、入間、狭山からも多くの患者さんがいらっしゃいます。中でも奥多摩さらに遠くの山梨の丹波山、小菅村の方々が来られるとなつかしい空気に触れるようで思わず力が入ります。
ふるさとで実現できなかった夢をかなえてくれた青梅の大地と人々に深く感謝しながら診療する日々です。厳しい医療情勢の中、完璧な医療は実現できなくても最善を目指して皆様の健康と生命に少しでも寄与したいと願っております。